恵みのしずく

恵みのしずく(32) 「あらゆる状況にあっても神を信頼すること」(ソフィア真愛(まな)ウォーレン)

恵みのしずく(32)

「あらゆる状況にあっても神を信頼すること」

箴言3章5〜6節

2021年1月17日(日)カナダ「CAN」にて

(ソフィア真愛(まな)ウォーレン)

 

  今回、高校最終学年にある、みくりちゃんと私に、霊的な旅路を振り返り、神の御業を皆さんと分かち合う機会を与えてくれた私たちのユース牧師ケリーさんに感謝します。

 みくりちゃんと私は、今年の6月に高校を卒業し、今秋から大学に入学予定です。今まで、祈りをもって私たちを愛し、支え、育ててくれた諸教会の共同体に深く感謝しています。

 私はまだ若い17歳ですが、この17年間の生涯を通して、「神を信頼する」ことが、いかに大切で、私たちの霊的な成長と信仰の基盤であることを学んできました。人生の旅路を歩む中で、私たち一人一人は、困難と試練を経験します。その旅路で神に出会い、そして人生の困難に直面する時も、神のみ言葉に耳を傾け、心に思いめぐらす時、私たちの神への信頼は深まり、成長していきます。もう一度、今日の礼拝開始のみ言葉「箴言3章5〜6節」を読みます。

 「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」

 

〈幼少期〉

 ご存知の通り、私は日本の東京で生まれました。エミカちゃん(昨年8月に誕生した仁美さん&ネイトの愛娘)のように、私は生まれたばかりの赤ちゃんの時から、教会のコミュニティで育ちました。

 2010年の春、私が6歳の時、家族でカナダに引っ越しました。愛する祖父母、家族、友だち、教会のコミュニティから離れることがとても辛く、これは私にとって最初の困難な時期でした。

 カナダに来た時、私はほとんど英語が分からず、馴染みのない文化と、学校でも今までの友だちがいないという、全く新しい環境に直面しました。つまり、私はカナダで、新しい人生の章を造り始める状況に置かれたのです。

 しかし、神様は私を忠実に導かれ、最善の学校、良き教師、親しい友人、そして愛する教会のコミュニティを私に備え、与えてくれました。教会のコミュニティにおいて、私は愛され、神に仕え、霊的に成長する機会が与えられています。こうして、6歳の初めての困難な時期を通して、私は、神がいつも私と一緒にいてくれて、絶えず愛情をもって私の人生を導いてくださっていることに気づきました。

 2014年4月20日、10歳の時、私はこの神を私の救い主として受け入れ、ここCAN(Church of All Nations)で洗礼を受けました(榛名:はるなちゃんと一緒に)。

 

〈昨年2020年〉

 多くの人たちは、COVID-19パンデミック(註:新型コロナウイルスの世界的大流行)という予期せぬ困難に直面し、2020年は「最悪の年だった」と言います。しかし私は、昨年2020年を通して、不確実性の日々の生活にあっても、毎日「神を信頼する」ことが、いかに重要であるかを学びました。

 BC(註:ブリティッシュ・コロンビア)州が、コロナウイルスによるロックダウン(註:都市封鎖)の開始を宣言した2020年3月以降、私は毎日欠かさず、「パンデミック生活における神の臨在」について日記を書いています。今日で、私のパンデミック日記の記録は309日目になります。

 パンデミックの世界という困難な時代にあっても、神が毎日、成し続けてくださっている御業と神の臨在を振り返ってみると、私は圧倒され、驚かされています。

 ここで、2020年3月19日、移転した「ニューエデン」のカバナ(註:小屋の意だが、ここではCANの集会所の建物)のペンキ塗りを始めた日の日記を少し分かち合いたいと思います。

 『今日は、春の初日、春分の日。晴れた美しい日だ。私たちの多くは今、このウイルスについて心配し、恐れに満ちているが、神が今日、私たちに与えてくださった太陽を見て、日光を楽しむ時、コロナウイルスは、私たちのすべてをコントロールしたり、私たちを不安で縛ることなど決してできないことが分かる。 

 私は、今日という日を神が私のために与え、計画してくださったことを知っている。神は、私たちが恐れと不安から解放されて自由に、喜びながら生きていいんだよと、今日も語ってくださっている。

 この後の日が、たとえウイルスが悪化し、困難な日々となっても、私は一日一日に喜びを見つけて生きていきたい! 小さなことと思えることも楽しんでいきたい! 私は神が与えてくれた今日という日と私の人生に感謝する! なぜなら、神は私の将来を計画され、また今日のペンキ塗りという小さな仕事の内にも、神の希望と喜びで満たし、私の人生を豊かにしてくださっているからだ!』

 

 昨年2020年の初夏、私の母が末期ガン一歩手前のステージ3B大腸ガンと診断されました。私はこの知らせに、大きな不安と心配に包まれました。その時、詩篇56篇が私の心に響き、私に語りかけてきました。

 「恐れのある日に、私は、あなたに信頼します。神にあって、私はみことばを、ほめたたえます。私は神に信頼し、何も恐れません。肉なる者が、私に何をなしえましょう。」(詩篇56篇3〜4節)

 母のガンの状況を通して、私は以前よりも神に引き寄せられ、神に私の信頼を置くことを学びました。神は、私たちの困難な状況にあっても、ご計画を持っておられ、神の愛なる御手の中に、私たちの人生が置かれている確実さを、私は再確認しました。

 それは、まさに私の大好きな、み言葉の一つであるエレミヤ書29章11節が述べている通りです。

 「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている主の言葉−。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

 私たちが、人生の旅路で直面するこれらの障害は、すべて神様のご計画の一部です。昨年の困難な状況は、私に、神との関係を深め、信仰を強め、成長する機会を与えてくれました。

 物事が自分の思い通りにならない時、私たちは、神が私たちの人生のすべてのステップにご計画を持っておられることを認識する必要があります。自分のコントロール欲を手放し、神の支配権に物事や人生を置くことは、時として難しく感じますが、これこそが、「神を信頼する」ことを学ぶ方法です。私たち自身と私たちのすべての人生の歩みは、私たちの創造主であり、贖い主でおられる神の愛なる掌(てのひら)の内にあるのです!

 2020年9月、グレード12(高校3年生)の新学期が始まりました。以前は、COVID-19パンデミックの中、高校最終学年を迎えるとは予想もしていませんでした。次の日に何が起こるか分からないという不安定なパンデミック最中の新学期、私は神に強さと希望を祈り求めました。

 「ローマ人への手紙8章28節」が述べているように、主はすべてのことを良きに造り替えて働いてくださるので、私はこの最終学年も「主に信頼する」ことを選び、前に進みました。

 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

 

〈現 在〉

 私は、これからも人生で直面する困難な状況を、神との関係を深める恵みの機会として見続けていきたいです。私の心の中には、神に対する情熱を燃やし続けていきたいという願望があります。私の魂が深く必要とする聖霊の火とパッションを経験するために、私はどのような状況にあっても「主を信頼」し続けていきたいです。

 私は、心から神に信頼します。自分のあらゆる問題、心配、すべてのことを神に明け渡して、神の恵みに満ちた御手の中で安心して、神が私のために備えてくれている人生、つまり神の道を喜びながら従っていこうと思います。私たちの神は、本当に真実であり、苦難の中でも決して私たちを見捨てることがなく、私たちと一緒におられる神です!

 神はまた、私たちを通して、神の栄光が光輝くために、私たち一人一人にユニークな賜物を与えて、私たちを祝福してくださっています。私たち人間は、みな平均的に同じように造られたのではありません! 神は、私たちそれぞれに、ユニークな贈り物と才能を与えてくださっています。ステラ先生や私の父のように、園芸の賜物は私にはありませんが、神は私に、神の栄光を輝かせる特別な贈り物を与えてくださっていると信じています。その賜物が用いられますように祈ります。

 もう一度、「箴言3章5〜6節」を覚えたいと思います。

 「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」

 「ヘブル人への手紙13章8節」が「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」と述べている通り、私たちの神は、まことに信頼できるお方であり、私たちに対する神の愛は決して変わることがありません。

 最後に、私は、あらゆる状況に置かれても、「神を信頼する」という霊的旅路を、私と一緒に歩んで励ましてくれる私の愛する家族、友人、教会の方々に感謝申し上げます。

 また、昨年から私たちユース(若者)に「ヨブ記」を読み、学ぶことを導いてくれているユース牧師のケリーさんに感謝します。「ヨブ記」は、まさに、いついかなる時も、私たちの創造主であり、贖い主なる「神を信頼」し、礼拝することを私に教えてくれています。私たちがいかなる課題に直面しても、いつも私たちと共にいてくださる「主を信頼」し、恐れずに歩んでいけますように! アーメン!

 

〈祈 り〉

 祈ります。真実なる私たちの神よ。

 私たちは、あなたが毎日、私たちに与えてくださるすべてのことを感謝します。困難な状況にあっても、あなたが私たちの人生を計画してくださっているので、私たちは、あなたの御手の中に私たちの人生すべてを置き、あなたを信頼します。

 いつも私たちと一緒にいてくれて、祈りの中で私たちの話を聞いてくださり、あなたの道へと私たちをいつも導いてくれて、主よ、本当にありがとうございます!

 私たちはまた、今、困難に直面している人々のために祈ります。どうか、彼らが、あなたこそがまことの力、導き、平和の源であることを知れますように!

 私たちが日々、新しい日を迎える度に、聖霊よ、どうか私たちが愛なる私たちの「神を信頼」し続けていけるように導き、助けてください! 御子イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン!

 

〈ケンジー(Kenjii):あとがき〉

 2018年2月から新しく船出した教会ホームページに、長年の願いだった読み物欄「恵みのしずく」を入れていただき、何とか昨年12月で31号を数えることができました。

 コロナのパンデミックが続くなか新年を迎え、「今年は何から始めようか?」とこの1、2週間、幾箱もある「Kenjiiの宝物入れ」を取り出し、読み耽っていました。

 「まあよくも、なんでも取って置いたものだ!」と自分でも感心する程の量です。5人の孫たちが書いた手紙や絵にはその日付や場面がちゃんとメモしてあったので、すぐにその時代に回帰できます。特に、誕生から2010年3月にカナダに帰るまで、ジョシュアは小学2年の終わりまでの8年間、ソフィアは幼稚園卒業までの6年間、同じ敷地内のお隣さんだったので格別です。

 天気のよい日には決まって、どちらかが、わが家に飛び込んできて「ジージ、散歩に行こう!」と私を誘います。私は何を置いても、すぐに応じ、今では禁止の自転車の前の座席にソフィア、後ろの座席にジョシュアを乗せて出発します。途中で飲み物やパンを買って、「さあ、どこへ行く?」と尋ねると、即座に「公園!」「江戸川!」の声が返ってきます。

 公園の時は、一つの公園では満足しません。思い付く市川の幾つかの公園をハシゴします。江戸川の時は、上流・下流で行き先が違います。下流なら、まず市川南の「パークハイツ」手前のヤマザキのお店でジュースとパンを買い、ハイツの池で一休み。魚たちにパンをちぎって与えます。そうすると、池の真ん中あたりで悠然と泳いでいる1メートルを超す「草魚」(註:中国の魚。草を食べ、すぐに大きくなるので、戦前に食料増産のため日本の河川に放し増えた。)までが二人の近くまで寄ってきます。岩の上で日向(ひなた)ぼっこしている亀さんまでが二人を見ると、ドボンと飛び込んで近づいてくるのです。

 パンをすべて投げ与えたら、「また来るからネ!」と挨拶して、江戸川の堤に出て行徳橋近くまで走ります。途中、睦美さんのマンション4階に向けて「ムツミさん!」と呼び掛けます。でも、ベランダに出ていない日が多いので、聞こえませんね。

 上流へ向かう時は、決まって江戸川土手を「柳原水門」まで走ります。そこに着くと、必ず水門(正しくは水閘)まで下りて、そこにある井戸で遊ばせます。帰りに里見公園に寄る時は、二人を自転車から下ろし坂を登らせて裏門から入ります。入り口にある売店で“おだんご”を食べることも…。公園内の遊具で暫く遊んでいくのは、無論のことでした。

 

 そんなジョシュアがもう大学2年生、今年9月には3年生になり、ソフィアが今年9月には大学生になるなんて信じられない!

 そんな思いでいる時に、ソフィアが1月17日に教会で初めて証しをするという話が飛び込んできました。「大丈夫だろうか? いったい何を話すのだろう?」と心配しているところに、志保子ママからソフィアの英文原稿とそれを日本人会員向けに志保子が訳した日本語原稿が登巳子さんのスマホに入りました。

 小さな文字を横向きにして少し拡大し、やっと読めるようになったソフィアの証しを読んで、まさに“Unbelievable Surprise”(信じられない驚き)に打たれました。

 しかし、すぐに「このソフィアの単純明快な信仰でよいのだ!」「まだ若いソフィアをよくここまで導き、育て、成長させてくれました。ありがとうございます!」と主への感謝に変わったのでした。

 こんな訳で、今年の「恵みのしずく」第1号は、17歳のソフィアの証しに決定した次第です。“ジジ馬鹿”でないことは、読んでいただければ、きっと納得してくださるでしょう。

(2021年1月20日記 大竹 堅固)