恵みのしずく(31)「年々歳々、心こめて・愛こめて」(Ⅴ) (藤崎 信)
「年々歳々、心こめて・愛こめて」(Ⅴ)
(藤崎 信)
〈10月の便り〉
「連絡が遅れましたことをお詫びいたします。涼しい8月、日照りの9月と面白い月でしたが、9月28日(日)からすばらしい秋日和(びより)が続きました。
いかがお暮らしでございますか。「主に満願の献げ物をささげよう」(詩篇116:18)。静枝姉妹の洗礼*は、神にささげる最上の宝物であります。これにより、教会も新しく恵まれますように。私たちも、新しい自己発見をしたいものであります。御身くれぐれも大切に
2003年10月1日(水) 心こめて藤崎 信」
*(註:奥野静枝さんは、この翌週10月5日に85歳で藤崎先生から洗礼を受け、その後2019年1月28日(月)に天に召されるまで、幸いな信仰生活を全うされました。101歳と25日の生涯でした。「恵みのしずく」(6)を是非お読み下さい。)
「涼しくなり、感謝しております。ご相談の件、2005年1月2日(日)、聖望キリスト教会で新年礼拝をさせていただきたく存じます。第2週の久美愛教会も待っているということで、延ばすわけには参りません。よろしくお願い申します。
私の誕生日(註:9月15日)には、多くの人に祝っていただきました。感謝しますが、それに価いしないものだ、という自覚が与えられました。祖母、子息、そして孫と三代の方々に受洗を行なうことを御恵みと、ただただ涙します。よき一日をお送りください。愛の日となるように。御身くれぐれも大切に。
2004年9月25日(土) 心こめて藤崎 信」
「お変わりなくお元気のことと御慶び申しあげます。ご親族のご葬儀(註:私の義兄・村田健三医師が9月14日80歳で逝去した)の件、ご苦労さまでした。主の導きのあったことを思い、感謝いたします。万博への参加よかったですね。
夏の疲れが出るのではないかと、私はひやひやして過ごしております。私自身については何ら心配はないのですが…。自民党大勝の選挙については、失望と心配を抱かされました。
二人の方のご受洗(註:次週10月2日に小林和子さんと根井洋子さん)については感謝し、祈っております。主が新しい二人を教会にお加えくださいます。教会は謙虚でなければなりません。主のなされることを、さんびします。御身くれぐれもお大切に。
2005年9月28日(水) 心こめて藤崎 信」
「秋めいて参りました。江戸川のあたりも美しいと想像します。この9月も暑かったです。
9月15日は私の誕生日でしたが、ほとんど何もいたしませんでした。一枝さんが具合いが悪く、すべてそれに調子をあわせて生活しています。守られて、不思議に守られて夏をこしたのも、私に良い準備をするようにとの御恵みと思います。ご恩寵の一生を思い、感謝とみ名をたたえます。御身くれぐれもお大切に。
2007年10月5日(金) 心こめて藤崎 信」
「通信が遅れました。お詫びいたします。9月の誕生日を迎え、おろおろし、また嬉しく感謝しました。
私の町(加須市)でも、遅まきながら、合併の号令を市議会で決議しました(10月2日)。国会も代表質問が行なわれ、どうやら選挙が先に延ばされるようです。イザヤ書25章は、「死を永久に滅ぼし」という大きなテーマの場であります。「平和な未来を告げるⅡ」としました。御身くれぐれも大切に。今夜の集会のために祈ります。
2008年10月3日(金) 心こめて藤崎 信」
「恵みのうちに10月を迎えました。9月はいかがでしたか。私はよき歩みをさせていただきました。
総会はどうでしたか。「総会は悔い改めです」。司会がそう宣言し、教会全体が神の前に立つのです。畏れと喜びの総会であったと思います。
10月を祈りのうちに迎え、祈りの中に過ごしたいと思います。「(主は)獣や、烏(からす)のたぐいが求めて鳴けば 食べ物をお与えになる」(詩篇147:9)。鳴いて求めましょう。御身くれぐれも大切に。
2009年10月1日(木) 心こめて藤崎 信」
「9月は恵まれました。感謝であります。その恵みの跡を一つずつ数えていかねばなりません。その恵みの中を、気持ちよく10月を迎えさせていただきました。
今日は、町内の方々と「児童公園」の草取りと、町内の道の清掃をいたしました。もの凄い雑草でした。4、50人でやりました。
いよいよ国会も始まり、予算編成も盛んになります。今、教会堂も完成に近づいております。神が働いております。御身くれぐれも大切に。
2010年10月1日(金) 心こめて藤崎 信」
「一枝さんが召されてから20日が経ちます。「死にし子の年を数えて」という言葉がありますが、「数える」ことはどうでしょうか。あまり役に立ちませんが、9月8日を頭に入れたい。
今日まで隣りにいた人がいなくなるという空虚さは、想像を越えます。むなしさを徹底して味わうことなくしては、すべて永遠なることは単なる言葉に過ぎなくなります。
「主の手が短くて救えないのではない」(イザヤ書59:1)。御身くれぐれも大切にしてください。
2011年9月28日(水) 心こめて藤崎 信」
「気持ちのよい秋晴れの日、心から感謝しております。それ以上に、聖望教会から与えられている交わりを喜ぶものであります。
「涙と共に蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる」(詩篇126:5)を思います。過去はすべて感謝であります。試験に落ちた人、また人生の一つの山を越えた人、皆、人を一つにして「小羊」をさんびしましょう。御身大切にして。
2012年10月3日(水) 心こめて藤崎 信」
「富士見高原のペンション「北欧」から帰って参りまして、しばらく時差ぼけになり、弱りました。しかし、主の導きをいただき、希望通りの9月を楽しく過ごしました。明日は10月1日です。
すばらしく、気持ちよく秋を満喫して、新しい2014年を迎え、いかに過ごすか。神のみ手を感謝します。
宗教改革者たちのように、清教徒のように、勝利を確信して進ませていただきたいと、幻を夢みております。御身くれぐれも大切に。10月4日(金)、兄弟が浅草「ちんや」に集まります。お会いする日を楽しみにしつつ…。
2013年9月30日(月) 心こめて藤崎 信」
〈11月の便り〉
「秋の気持ちのよい日々、感謝のうちにお過ごしのことと慶び申しあげます。私たちも守られて、祈りのうちに日々を過ごしております。
11月の最初の主日は、「召天者記念」となっております。愛泉教会では、8月に召天者記念を行なっております。それぞれ特色があり、その教会の独自の歴史もあろうかと思います。聖望キリスト教会も、自分たちにふさわしい「教会暦」を持つことが望まれています。
昨夕、愛泉教会では、40人のドイツ人(信徒さん)を迎えて、日独合唱の交流会をもちました。素人の方々の歌でしたが、なんとも気持ちのよい夕べでありました。最後に、日本語で「故郷」(註:文部省唱歌)を歌いました。2時間ぴったりでした。御身くれぐれもお大切に。祈っています。
2005年10月28日(金) 心こめて藤崎 信」
「11月になりました。いかがお暮らしでございますか。10月31日は「宗教改革記念日」であり、11月最初の主日は「聖徒の日」(永眠者記念日)であります。
教会暦を用いることは、日本のキリスト教ではあとになってからであります。したがって、アメリカ系の教会では殆ど用いておりませんでした。
私は、「日本の教会暦」があって然るべきだと思っています。しかし、教会の説教に、必ずしも採り入れるべきとは考えません。教会では、み言葉が第一である、と思うからであります。
「あなたの慈しみは命にもまさる恵み」(詩篇63:4)。そういうことを経験させていただきたいと、切に願い祈るものであります。御身くれぐれも大切に。お会いする日を楽しみにしつつ…。
2006年11月2日(木) 心こめて藤崎 信」
「気持ちのよい日々が続いております。いかがお過ごしのことかお伺い申しあげます。秋のすばらしさの中、足ることを知って感謝の生活、祈りの生活に入っておられると、お慶び申しあげます。
先日(10月21日)、「安藤記念教会」の創立90周年記念礼拝に招かれて、お祝いに参加いたしました。その建物は東京都の歴史的記念物に指定されております。秋の陽が蔦(ツタ)の影を窓にうつして、本当に気持ちのよい礼拝でした。
私たちの礼拝も、どなたに対しても心地よいものでありたい、と思います。お会いする日を楽しみにしております。
2007年11月1日(木) 心こめて藤崎 信」
「10月をいかがお暮らしでございましたか。明日(10月31日)は宗教改革記念日であります。ルターとかカルバンの伝記を読むことが、信徒さんたちにも必要と思います。礼拝では、ルター愛誦の詩篇46篇を交読させていただきます。
「日も水も申し分なき豊の秋」(安居雅寿)。すばらしい秋だと、感謝します。実り多き人生を過ごされた信仰の先輩を思って、この夕べを過ごしつつあります。御身くれぐれもお大切に。
2008年10月30日(木) 心こめて藤崎 信」
「秋も深まり、何となく故郷の恋しい頃となりました。新しい鳩山内閣もひと月が過ぎました。
記念コンサートでお忙しくお過ごしのことと思います。一枝さんも、皆さんの祈りに支えられて、食欲も少し出て参りました。感謝であります。新しいさんびかを歌いたいと思います。讃美歌21―528番(「あなたの道を」)をよろしくお願いします。
「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる」(詩篇37:23)。これは、あなたの言葉でしょう。御身くれぐれも大切に。
2009年10月29日(木) 心こめて藤崎 信」
「入道雲から鰯雲(いわしぐも)へ、秋の空が晴れ渡ります。江戸川の堤も、秋めいて参ったと、思います。
私の散歩道で、金木犀(きんもくせい)の香りが漂っています。帰りの違うコースには、道いっぱいの金木犀の花びらです。
この10月は、説教とか聖書研究での話を7回させていただきました。
一枝さんを欠いた新しい年月を、とにかく何んとかやっています。祈りの大切、聖霊の導きを覚えてのこと、しかりです。御身くれぐれも大切に。
2012年11月1日(木) 心こめて藤崎 信」
「10月は台風などが襲来し、伊豆大島では大きな悲劇が起こりました。また文字通り、天高く晴れた日もありました。
親しい友人たちが天に召されて参りました。私たちのために“報いてくださる”とりなしの主を強く憶えました。
11月3日は、天に召された人たちをおぼえる日であります。この日、主イエスと離れないで過ごしたいと思います。
寒さに向かっております。御身くれぐれもお大切に。登巳子さんのことをおぼえて祈りました。
2013年11月1日(金) 心こめて藤崎 信」
〈12月の便り〉
「雄祐君が入学に失敗したとか。それを聞いて残念に思い、心を痛めました。しかし、主が必ずよき道を備えてくださいます。信じて共に明るく歩ませていただきましょう。
山本兄弟の受洗(註:翌週12月7日に邦昭さんが藤崎先生から)は、主が与えてくださった最高最大のプレゼントであると、心から感謝し、喜ぶものであります。
アドベントを迎えます。クリスマスのよい準備ができますように。ローソクと共に、やさしい心を持ちたいと思います。御身くれぐれも大切に。
2003年11月28日(金) 心こめて藤崎 信」
「今年も守られて、大過なくすごしました。今年のクリスマスは、どうでしたか。喜びに溢れたことと思います。私は賛美が足らなかったと思っております。教会員の結婚と葬儀、新生児の誕生と洗礼入会式と、恵みのうちに行ないました。
クリスマスは、天の父が一番喜ばれた時だと思い、天使と共にさんびする時だと思っています。
新しい年、「御救いの良い知らせを告げよ」(詩篇96:2)とのみ言葉の如く、生きて参りたく思います。
2003年12月26日(金) 心こめて藤崎 信」
「まもなく第1アドベントであります。「巡礼者が一堂に会するクリスマス」が近づいております。第1アドベント、第2アドベント…と喜びが次第に大きく、強くなって参ります。さまざまな準備をすることも、楽しいことであります。
しかし、聖書に親しんでクリスマスの喜びにひたることに勝るものはありません。三人の博士らのように、人の魂をみ前に献げることは何という奇跡でありましょうか。
教会の喜びは、信仰の嬉しさ、楽しさであります。御身くれぐれも大切に。祈っています。
2004年11月25日(木) 心こめて藤崎 信」
「クリスマスをお祝いします。
「あなたがおることが、プレゼントです」と作家の落合恵子さん(「母をみとる」)が書いております(介護日誌)。
本年の残りの日々が、最善であるように祈ります。人生観には、「上り坂」と「下り坂」の二つの見方があります。高齢者は下り坂にあるものでしょう。しかし、「白髪になるまで、背負って行こう」(イザヤ書46:4)とあります。ですから、最後まで上っていくのがキリスト者の歩みでありましょう。
残りの日々が楽しみであり、また平安であります。山本邦昭兄のいやしのために祈ります。御身大切に。
2004年12月23日(木) 心こめて藤崎 信」
「第1アドベントを迎え、まもなく12月になります。今年もお世話になりました。私の今あるは、聖望キリスト教会のお蔭と深く感謝するものであります。
「過去を振り返り、将来を展望し、そして上を仰ぐ」。それが12月の礼拝への態度であろうかと、思います。
敗戦後60周年の記念すべき年が過ぎようとしています。「初心忘るべからず」とのお叱りがくるような気がします。御身くれぐれも大切に。
2005年11月29日(火) 心こめて藤崎 信」
「メリー・クリスマス。み子の誕生をお慶び申しあげます。この一年、大変お世話になりました。世話になるばかりで、心苦しく思っております。それほど、お世話をかけました。それにもかかわらず、いつも温かく迎えてくださり、至れり尽せりの御もてなしをいただき、感謝の申しあげようもございません。主にある友情をありがたく思います。
これを天の父の家まで持ち越したい、と考えています。「わたしが心に悪事を見ているなら、主は聞いてくださらないでしょう」(詩篇66:18)。信仰の喜びを感謝いたします。御身くれぐれもお大切に。
2005年12月23日(金) 心こめて藤崎 信」
「昨日の礼拝と説教に力を果し尽くし、今日は恢復の日です。今週をどう過ごしたらよいか、静かに祈りました。
妹(愛香さん)の娘(歌江さん)の結婚式があり、楽しくもあり悲しくもあります。「時」があることを、しみじみと感じます。
坪谷ご夫妻の最後の準備会をよろしくお願いいたします。「キリストに結ばれる日」、その日、その時を彼らも想像していなかったと思います。しかし、「球根の中に花は秘められて」おります。
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道者の書3:11)のであります。お会いする日を楽しみにしつつ…。御身くれぐれもお大切に。
2006年11月27日(月) 心こめて藤崎 信」
「アドベントを迎えます。讃美歌21―241番(「来たりたまえわれらの主よ」)を歌いたいと思います。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
坪谷さんご夫妻からお手紙をいただきました。「しばらく礼拝から離れます」という内容です。牧会は大変むずかしくあります。
一枝さんが、多分、礼拝に出席することと思います。心からそれを願い、祈っておりました。み心であれば、それはきかれます。
洗礼式*があります。よろしくお願いいたします。全員の祈りが必要であります。祈りにより「慰めの牧会」を望み期待します。御身くれぐれも大切に。
2007年11月29日(木) 心こめて藤崎 信」
*次週12月2日のアドベント第1主日には、2つの大きな喜びが…。第一は、藤崎一枝姉が半年ぶりに礼拝に出席(その日、ご次男の悦児兄が先生ご夫妻を車に乗せて)なさったこと。第二は、三橋香織さんが洗礼を受けられたことです。ハレルヤ!
「楽しみます、とのメッセージありがとうございます。明日(12月5日)の市川家庭集会が祝されますように。
一枝さんは、結婚前にインマヌエルの礼拝に出席していました。「緑乃」さん、「まきば」さんは、その頃、幼かったのです。詩篇23篇からのお名前はすばらしいと思いました。私は、丸の内のその集会で、依頼を受けて証しをしました。二人でしたのですが、その一人、金井さんは札幌教会の牧師となって、よい働きをしています。共に神学校時代のことであります。
「すべてのことを働かせて」(ローマ8:28)益となりますように。
2008年12月4日(木) 心こめて、主にありて藤崎 信」
「通信が遅れました。お詫びします。夕刻の家庭集会のために祈ります。固定した考えより抜け出し、「最も小さい者たち」(マタイ25:40)のために愛の手をささげましょう。神のご栄光のあがる集会となりますように。「わたしは恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた」(イザヤ書49:8)。
あしたは所用のため泊まれません。残念です。日曜日の朝に参ります。御身大切に。
2009年12月4日(金) 心こめて藤崎 信」
「献堂式から一年の記念すべき月になりました。この一年を感謝します。浅草橋教会は、私が日立に行く前にお世話になった教会であります。泉田精一先生に感謝し、その思いで浅草橋教会に参ります。
会津和俊さん(元役員)に大変お世話になりました。大竹達之助お父さんを知っている3人に会いました。紙山博次さんは「妻知代が聖望で先生に会っています」と申されました。とにかく、御身大切に。少し文字が書けるようになりました。
2011年12月1日(木) 心こめて藤崎 信」
「11月は感謝の月であり、一年の恵みを感謝し、収穫を感謝しました。11月17日は「るつ記記念基金30周年」の記念礼拝に招かれ、説教をさせていただきました。
そこに立ち得ない者であることを、しみじみと感じました。「今日あるは神の恵み」(Ⅰコリント15:10)と、パウロと共に思いました。私的感想を述べれば、「夕べになっても光がある」(ゼカリヤ14:7)ということであります。11月24日は久美愛教会の献堂式でした。
12月は「クリスマス」のシーズンですが、新しい未来を待ち望みます。寒さのみぎり、御身くれぐれも大切に。
2013年11月29日(金) 心こめて藤崎 信」
〈あとがき〉
藤崎信先生が「聖望キリスト教会・主日礼拝順序」のあとに記してくださった短信を月別にまとめた『年々歳々、心こめて・愛こめて』も、この第Ⅴ集をもって終わります。以下に、各集の概要を記します。
第Ⅰ集:「恵みのしずく」(23)、1月の便り・2月の便り、2005〜2014年、計14通。
第Ⅱ集:「恵みのしずく」(24)、3月の便り・4月の便り、2004〜2017年、計16通。
第Ⅲ集:「恵みのしずく」(25)、5月の便り・6月の便り、2003〜2014年、計16通。
第Ⅳ集:「恵みのしずく」(30)、7月の便り・8月の便り・9月の便り、2003〜2016年、計31通。
第Ⅴ集:「恵みのしずく」(31)、10月の便り・11月の便り・12月の便り、2003〜2013年、計29通。
以上の如く、古くは2003年から最新の2017年まで、15年間にわたる計106通の“心こめて”の「藤崎信・愛の短信」をまとめることができました。
これらをひとまとめにした束(たば)が大事に保存されていたのも、それらの一通一通にどれほど慰められ、励まされたか知れなかったからでしょう。
初期の2003,4年頃のものは、コピーが淡くなって読み難く、拡大鏡を使ってやっと判読しながら清書しました。今回、改めて読み返してみて、礼拝順序の事務的な知らせのあとに添えて下さった信先生の“愛の短信”に心から感謝し、恵まれた一年でした。
また、これら短信の一通一通から、先生の「聖書的生き方」と「主と共にある日々の様子」「一枝夫人への深い深い思い」が窺(うかが)えて、私も先生に倣いたいと思わされたことでした。
2020年12月7日(月)記 大竹 堅固