恵みのしずく(24) 「年々歳々、心こめて・愛こめて」(Ⅱ) (藤崎 信)
〈3月の便り〉
- 「いつも主のためにお働きいただき、ありがたいことだと、感謝いたします。 先日は、一枝さんのために励ましのお便りをお寄せくださり、彼女も大いに慰められたようです。
若い方々が教会に参るようになり、新しい出発をなすことが、彼女にとって、 何よりの大いなる慰めであるようであります。
私たち聖望キリスト教会が選ばれて“主の家”となったのは、「数が多く、立派だったからではなく、最も貧弱であったからです」(申命記7:7)。謙虚に新年度の歩みを始めさせていただきましょう。
御身くれぐれも大切に。
2004年3月25日(木) 心こめて藤崎 信」
- 「今日は聖金曜日、受苦日であります。受難週の早天祈祷会を守っています。 いつも誰ひとり通らない道を教会へと足を向けました。
喜びの復活日が参ります。シャロンのばら伝道所で礼拝を守ります。越谷市の 千間台(せんげんだい)下車でそこに行きますが、なんと6時半から礼拝を行うというのであります。
「見よ。兄弟たちが一つになって座っている。なんという恵み、なんという喜び」(詩篇133:1)。そういう経験をさせていただきたい、と思っております。
2005年3月25日(金) 心こめて藤崎 信」
- 「風邪がなおったと聞き、ほっとしております。一枝さんが心配し、いつも祈っておりました。同じ心臓の弱さを知るためでありましょう。今日はのどかな春の一日であります。
春季昇天者記念礼拝も祝福のうちに守られ、終わったことと思います。同じ日、私はシャロンのばら伝道所での最終の礼拝を守りました。「一人のひと、一粒の麦」と題して、珍しく講解説教でなく、主題説教をさせていただきました。本当の題は「一粒の麦・さようなら」でありまして、一粒の麦としてそのまま留まっている自分を反省しました。
4月1日は、鈴木敏郎先生の誕生日の日であります。お会いする日を楽しみにしております。御身くれぐれもお大切に。
2007年3月28日(水) 心こめて藤崎 信」
- 「春3月になりました。いかがお暮らしでございますか。お伺い申しあげます。
明るい日々となりました。感謝であります。しかし、3月10日の東京大空襲の日が近づいてきますと、心が呻(うめ)きます。
朝ごとに新しく来る主の恵みを信じ、それに頼り、前に向かって進んで参りたいと願っております。
ご連絡が遅くなり、申し訳ございません。お赦しください。明日は泊めていただきたく存じます。一枝さんの希望であります。よろしくお願い申しあげます。
2010年3月5日(金) 心こめて藤崎 信」
- 「3月になりました。“春は名のみの風の寒さよ”であります。江戸川の流れも、春めいて美しいことと思います。
献堂式(註:2010年11月28日と12月5日の両日)後、教会はいよいよ祝福されているようで、こんな嬉しいことはございません。神様が働いております。私たちも やや元気で過ごさせていただいております。お会いする時を楽しみにして。
2011年3月1日(火) 心こめて藤崎 信」
- 「Fax届いておりました。感謝します。ご親族の方(註:私の義兄・當山輝夫が2月28日に81歳で逝去)の突然の死、驚いております。主の慰めをお祈りします。
「主の日は近い」(エゼキエル書30:3)。すべてを主にお委ねして、次の主日礼拝を楽しみにしております。
2012年3月2日(金) 心こめて藤崎 信」
- 「連続して白い週末を迎えました。今朝も散歩しましたが、まだ雪が残っています。しかし、“冬来りなば、春遠からじ”であります。春が来ます。黙示録も今回で終わります。
私の感想としては、「今日あるは神の恵み」(Ⅰコリント15:10)です。皆さんの配慮、祈りに言い尽くせない感謝をささげます。
ありがとう、ありがとうございます。また「堅固なくして黙示録は読めなかったでしょう!」。聖望キリスト教会に心から感謝いたします。
2014年3月1日(土) 心こめて愛こめて藤崎 信」
- 「冬来りなば、春遠からじ」。北の風強い冬がなくして、春は来ないのであります。
朝、散歩に出て参ります。一日一日、日が伸びていきます。庭の草木に水をやっています。小さく芽を出しています。不思議に“球根の中には花が秘められ”ています。
実に“いのちの終わりは、いのちの始め”であります。まさに春を迎えました。主イエス・キリストこそ、まさに春そのものです。
御身くれぐれも大切に。
2017年3月3日(金) 心こめて愛こめて藤崎 信」
〈4月の便り〉
- 「緑の伸びる朝の頃となりました。家にこもりがちな私は、今週、鬼怒川や中禅寺湖畔に接する時が与えられました。金谷ホテルの受付のお嬢さんは、「こちらはまだ桜が咲いておりません」と言われ、雪のある男体山を思いました。
父・五郎先生の記念会を、天より弟・望さんを呼び出して兄弟たちが集まり催しました。もう20年にもなります。「アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています」(ヘブル11:4)。残された者の責務を、ありがたく覚える次第であります。
「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である」(箴言16:9)。教会学校も始まりました。一つ一つ解決することが、主のみ心であります。麗しい5月、お会いする日を楽しみにしつつ。
2005年4月22日(金) 心こめて愛こめて藤崎 信」
- 「緑の祭典」の頃となりました。いかがお暮らしですか。お伺い申しあげます。受難週早天祈祷会、復活日と信仰生活に恵まれ、私たちは翌日より四国旅行を致しました。その旅行の中で“ハレルヤ、ハレルヤ”と主の甦りを賛美して参りました。“裸になる旅”・“自分を再発見する旅”。そういう“魂の旅”というものがあってよいのではないでしょうか。“同行二人”というお遍路さんたちに多く会いました。主と二人・一枝さんと二人、共なる生ける生活が与えられ、やる気満々であります。 御身くれぐれもお大切に。
2006年4月28日(金) 心こめて藤崎 信」
- 「4月1日は鈴木敏郎先生の誕生日であり、4月2日は娘るつ記さんの召天日であります。4月は新年度の出発の月です。
聖望キリスト教会に新しい希望の日々が与えられるように祈ります。「われとわが家は主に仕えん」(ヨシュア記24:15)という人々の集う処となるよう希望します。
受難節の時でもあります。マルコ11:20~25節を司会者に読んでいただくよう願います。お会いする日を楽しみにしております。
金曜日の夕刻の集会には参加できません。おゆるしください。
2009年4月2日(木) 心こめて藤崎 信」
- 「新緑の頃となりました。「緑の伸び朝」(伊藤整)という気持ちのよい昨今であります。先月は礼拝後に浅草の「ちんや」に参りまして、「大竹君のお父さんの葬儀に私も出席した」と、ご主人(註:大竹能力の親友・住吉滋夫さん)の温かいもてなしを受けました。一枝さんは皆さんの祈りをいただき、医師も喜ぶ者に、日に日に新しい力を受けて、感謝と祈りに入っております。
私は、先月は特にあなたの祈りを感じました。4月29日で、加須に来て10年になります。いつも温かく迎えられ、愛のうちに過ごさせていただいております。 大きく感謝します。ありがとうございます。御身くれぐれも大切に。
2009年4月30日(木) 心こめて藤崎 信」
- 「いま、受難週の早天祈祷会を守っています。今朝も寒い朝、教会に向かいました。二人の人に挨拶をしました。一人は老婦人、一人は道を清掃する人でした。朝を大切にする人々に、主の祝福を祈りました。今朝の早天祈祷会に「たすけ君」(7歳)が参加しました。
信仰を得て、聖餐に養われ、生涯を献げ尽くす人が主によって与えられることを祈りました。復活日に、ハレルヤと賛美致しましょう。
2010年4月2日(金) 心こめて藤崎 信」
- 「受難週の早天祈祷会で祈ることを許され、感謝でした。6日間、健康が守られ感謝でした。復活日(イースター)は、「新しい望みに生きよ」とのみ言葉が与えられ、感謝でした。
一枝さんは退院してきたのに、4月22日にまた入院が命ぜられました。私は毎日、朝早く病院にお見舞いに参っております。
イザヤ書も54章まで来ました。神のお恵みであります。「私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある」(詩篇124:8)。み霊の導き、祝福を信じます。
2011年4月30日(土) 心こめて藤崎 信」
- 「いま、受難と復活日を視野に入れた生活を行いつつあります。
「枯れた(干からびた)骨に霊を吹き込む」(エゼキエル書37:5)。先日、五人で中野雅子さんのために祈りました。
太平洋の向こうからの祈りに導かれて、思いを断って、新しく生きる。“霊の吹き込み”を、私は強く感じました。
受難週と復活日も、枯れた骨が“カタカタと音をたてる”ようでありたい、と思います。
私は、いま非常に大きな難儀の中にあります。祈りは力です。御身くれぐれも大切に。
2012年4月1日(日) 心こめてシンより」
- 「春になりました。教会は“受難週”に向かっております。カナダからのご一家も無事に日本を立ったとのこと。実は、私もお目にかかりたかったです。でも、その分、皆さんが十分にお会いしてくださった、と心を安らげております。
多くの方々のご受洗、これは神がなさったことだと、信じてみ名に栄光を帰します。
新しい出発が与えられようとしています。今日はるつ記さんの召天日です。復活日でした。思うこと多し、であります。
御身くれぐれもお大切に。
2014年4月2日(水) 心こめて 信より」