1月27日:福澤満雄牧師「ハンディキャップを乗り越えよう」
※お詫び
録音機器の不具合により、この週の音声メッセージはございません。
聖望キリスト教会2019年1月27日主日礼拝の福澤満雄牧師宣教,ルカの福音書19章1-10節より「ハンデキャップを乗り越えよう」の音声化が今回はできませんでしたので,個人メモをもとに、大要を佐藤が記憶から復元・補足したものです。
寒い日ですね。今日は、「ハンデを乗り越えよう」。ハンデと言えば、障害物競走。小学校ではハシゴを横に置き、ネットをくぐったりする。五輪でもハードル競技が。障害物は、乗り越えねば失格に。乗り越えてこそ勝利。人生の障害もそう。いつもよけていたら、決して解決しない。勇気を持って立ち向かう時に、光がある。
今日のルカ19章は、ザアカイについて。ザアカイとは、純粋・清いという意味。彼は取税人の頭で、金持ち。取税人は、ローマの支配者の手先となり、同胞を圧迫。彼はそのトップとなる、つまり大成功。金持ちに。取税人は、皆金持ち。徴税額の水増しやピンはねによって、裕福に。だが裕福と幸福とは違う。大邸宅に住んでも、幸福でない人たくさんいる。努力では手に入れられない。
3節「彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。」見に行った。彼は嫌われていた。そして、背が低かった。今日の教会学校の聖書箇所、「人はうわべを見るが、主は心を見る。」(1サム16:7)。ちびのザアカイというが、(ちびかどうかを)誰が決める?何が基準?人の基準は非常に曖昧。欧米では170cmでもちびということに。絶対的でない。
ザアカイもちび、ちびと言われたかも。今に見ていろ、成功してやっつけてやる。そして、取税人になることに。仕返ししたかったと思う。トップまで上り詰める。トップは、ローマ人が選ぶ。いかに税をたくさん取るか(心を尽くしたと思う)。力づくでも取る。だが背が低い、というハンデ。努力しても無理。
4節「それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。」ザアカイは、「走り出た」、つまり先回りをした。そして桑の木に昇る。高みの見物に。
ちょうど、イエスさまがそこを通り過ぎようと。「ちょうど」は素晴らしい。イエスさまに会いたいと思う時、「ちょうど」お通りに。私が通った神学校校長のくるまだ・きんじ先生。先生がクリスチャンになった動機は、宣教師から英語を覚えるため。まだ明治時代。ところが英語の授業のテキストは全部聖書。福音が心に入り、洗礼を受けた。動機は英語。でもイエスさまを見ようとすると、「ちょうど」その時介入される。私は、職場、ニコンの先輩がクリスチャンだからだった。出世のため。そこを「ちょうど」イエスさまが通り過ぎる。「ちょうど」そこに来られる。それは、たまたまでなく神さまのプログラム。
5節「ザアカイ。急いで降りて来なさい。」初対面なのに、イエスさまはザアカイの名前を知っている。イザヤ43:1「わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」高みの見物をやめて、降りて来なさい。「泊まることにしてあるから」不思議な言葉。初対面なのに、名を知っている。それだけでない。いわば、もう予約済み。名を知っているのは、御子だから当然、と考えることもできるが、弟子のマタイも取税人だった。マタイは、「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」(マタイ4:19)と言われて、職を辞めてイエスさまについていった。このマタイが、ザアカイのことを話したかもしれない。
6節「ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。」坂本九の有名な歌「上を向いて歩こう」。寂しい詩(上を向いて 歩こう 涙がこぼれないように。思い出す 春の日 ひとりぼっちの夜)。なぜこの歌が流行った?泣いちゃいけない。でもひとりぼっち。繁栄して世界のリーダーシップを取っている人でも、現実には泣いている人がたくさんいる。夫婦なのに、ひとつのベッドで背中を向け合って寝る。ザアカイも、ひとりぼっち。立派な家を建てた。だが誰も来ない。ゲストルームにも来ない。「ザアカイ!」そう呼んでくれる人が、ひとりもいなかった。初めてイエスさまが「降りてきなさい」と。
イエスさまは、ひとりひとりの名を呼び、「降りてきなさい」。高みの見物で見下ろす世界に、救いはない。ザアカイは急いで降りてきた。生まれて初めて「ザアカイ」と。イエスさまを家に案内した。
ザアカイは、急いで降りてきた。チャンスはしばしば逃す。「忙しい」「別に計画がある」。ザアカイは、このチャンスを逃すな、と。イエスさまが、私の家に泊まられるとは!私たちの人生にもチャンスが。もしザアカイが「また今度泊まってください」ならば、イエスさまは二度とエリコに戻らない。そのまま十字架へ向かって行った。チャンスはある。彼は大喜びで、イエスさまを迎えた。
私たちにも、「イエスさま、ぜひ彼の家に泊まって」と(言いたい人がいるでしょう)。イエスさまに出会って欲しい人が、たくさん。「主人は頑固で、頑固で。会ってください!」マタイがザアカイを紹介した(ように)、そう祈る心(を持とう)。「妻・孫たちがイエスさまに出会うよう。」ぜひ(イエスさまに)声をかけて。イエスさまが必ずチャンスをくださる。私は17歳で教会に行き、19歳で洗礼。20歳で神学校に行った。その職場の先輩から「君が配属された日から祈っていた。」と言われた。ショックだった。何年も前から。救われる人は、必ず誰かが、どこかでずっと祈って来た人がいる。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます。」使徒16:31の言葉を(信じて祈ろう。)
ザアカイは大喜びでイエスさまをお迎えした。7節「これを見て、みなは、『あの方は罪人のところに行って客となられた』と言ってつぶやいた。」群衆もそれを見ていた。そしてブーイングを浴びせた。なぜ彼らがブーイング?自分たちの基準で見ているから。私たちはうわべを見るが、神さまは心を見る(1サム16:7、今日の教会学校のみことば)。
私たちにもハンデが必ず与えられる。完全な人間はひとりもいない。発達障害という言葉を聞くが、私も発達障害。皆が障害者。それを、神さまがくださった恵みと思う。すると、人生が変わってくる。レーナ・マリアさん(ゴスペル歌手。両腕がなく、左足が右足の半分の長さ)が我が家に泊まって、お話をした時、自分を障害者でなくスペシャルと言った。そりゃそうだ、スペシャルだ。神さまが私のために特別にくれたもの。背が低いということも同じ。それはイエスさまに出会うための、素晴らしい神さまのプログラムの一部。背が低いことが、イエスさまに出会う、素晴らしい祝福につながった。うまく行っている時は、イエスさまはいらない。トラブルに会って、はっと我に帰る。自分中心の人生が如何に怪しいか。イエスさまに会おうという気持ちにさせられる。
8節「ところがザアカイは立って、主に言った。『主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。』」ザアカイは、「立って」主に言った。その直前には、ひざまずいていたかも。契約する時は、立って行う(から、誓約のつもりで立ち上がったかも。)
「四倍にして返します。」本当に自己中心の人生だった。お金は入るが、ひとりぼっち。だがイエスさまに出会った時、自己中心の心から(変わった)。「4倍にして返す」10倍も税金とっていたかも。これは、悔い改める心の告白。
9節「イエスは、彼に言われた。『きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。」アブラハムは、信仰の偉人。このザアカイも「信仰の子ども」。どんなに悪くても、ハンデがあっても、イエスさまに出会った時に「貧しい人に施す」ように。信仰の恵みによって、救いがこの家に。
10節「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」主は、「失われている者を救うために来たのです。」(本日の招詞、マタ18:11)。のけものにされている(人を救う)。ルカ5では「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです」(ルカ5:31-32)。丈夫な者でなく、病人を。ハンデがたくさん。
私たちには、どうしても超えられないハンデが2つある。
(1)罪:的外れという意味。愛せない。とっちゃだめと知っていても的を外す。「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」(ローマ3:23)、「私は、ほんとうにみじめな人間です。」(ローマ7:24)これが本当のハードル。
(2)死。この死を超えるハードルはない。どんな素晴らしい人も死は超えられない。去年、60歳の方に洗礼をさずけた。彼は哲学好き。妻が彼のために祈り続けた。哲学には限界があると気づき、教会へ。
(これらの)超えられないものを超えるようにされたのが、イエスさま。イエスさまは「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と祈った。私たちの身代わりになって、いのちを投げ出して、私たちを救ってくださった。罪が赦され、(第1の)ハードルを超える。
そして復活。イエスさまが復活によって、超えてくださった。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」(ヨハネ11:25-26)(第2の)超えることのできない死のハードルを、イエスさまは超えさせてくださる。
イエスさまは、罪も死のハードルも超えさせてくださる。ハードルは恵み。
私と洗礼を一緒に受けた、なかむら・ときひこ兄弟。昭和4年生まれ。写真がこれ(示す)。すごく背が低い。鹿児島出身。小さいときから芋焼酎飲んでいた。昔はそうだった。大学卒業後、東京に来てニコンに就職。(私たちを導いた先輩の)田中さんがする、イエスさまの話に彼は反発しつづけた。だが、教会子供学校で「ちびのザアカイ」の紙芝居を見た。彼には背が低いという劣等感があった。酒を飲んで、自分を元気づけていた。やがてクリスチャンになった。1957年4月、復活祭に一緒に受洗した。彼は喜びにあふれて、路傍伝道でも積極的に活動。本当に喜びにあふれて、クリスチャンと結婚。久喜に家を建てた。どうしてもイエスさまを迎えたい、と庭に教会堂を建てた。現在の久喜キリスト教会。彼は、神さまの恵みで変わった。1969年6月27日、彼は37歳で召天。肝硬変だった。芋焼酎のせい。彼は、まさにイエスさまを迎えるために、庭に教会を建てた。今も教会は続く。息子夫婦と孫がクリスチャンになって、仕えている。
ハンデを避けるのでなく、乗り越えよう。木に登ってもお迎えしよう。イエスさまは私たちの家族を祝福してくださる。降りてきて、ひざまずき、主をお迎えしよう。